金沢の葬儀事情

父親が亡くなった事から、金沢の葬儀の事情に興味を持って情報を集めました

蓮覚寺で蝋燭で灯したキリコを見てきました

今日は、新盆の最終日という事で蝋燭で灯したキリコを見てきました。
卯辰山山麓寺院群の日蓮宗のお寺(蓮覚寺、妙応寺、円光寺、長久寺など)では7月16日の送り火の時に、先祖さまに灯りをさしあげ霊をお送りするため、キリコにロウソクを灯しお経をあげて墓地を周るという風習が残っています。
ちょっと早めに着いたので、卯辰山山麓寺院群を散策しました。あちこちで、いろんな調子のお経が聞こえました。
ほとんどの墓地では、キリコは板状のものがほとんどでした。
蓮覚寺、妙応寺、長久寺は、箱状の昔ながらのキリコがほとんどでした。
蓮覚寺では、事前にロウソクが入れられたキリコを、19:00から、住職が1つ1つ灯し始めます。19:30には、また1つ1つ消していました。19:00だとこの時期はまだ明るいので、19:30ぎりぎりの時間が最も美しかったです。
妙應寺(妙応寺)や円光寺では19:20からキリコを灯し始め、お経を上げながら墓地を周っていました。

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だれが墓を守るのか

だれが墓を守るのか 小谷みどり著を読んでみました。
全国平均で火葬が50%を越えたのは1935年(昭和10年)で一般的(○○家の墓)な墓が建立され始まるのは、せいぜい明治時代の終わり以降ということです。1970年でも20.8%が土葬されていたそうです。
つまり墓という物は、宗教的には根拠が無く一種の流行のようなものだと考えられます。
核家族化が進展し、子々孫々で墓を継承するという社会的環境が失われ、無縁墓が増加しているのが現状のようです。
2011年の人口移動調査によると、居住地が出生地と同じ人は10.7%だったそうです。
家族みんなで墓参りに行くにも交通費や宿泊費がかかり、墓が傾斜地にあると年をとると墓まで歩くのも負担だし、草むしりや墓掃除のも重労働になる。
一度、墓を建てれば、墓を片付けたい(墓じまい)するにも多大な費用がかかるし、墓を継承する子供の負担を考えて、お墓を建てないことを選択する人が増えているようです。
1990年に総理府が実施した「墓地に関する世論調査」では共同参拝墓地をどう思うかの質問に対し、墓地としてふさわしくないと回答した人が42.6%だったものが1998年の20歳以上の男女を対象にした墓地に関する意識調査では、ふさわしくないと回答した人は14.6%だったようです。
散骨についても1990年に総理府が実施した「墓地に関する世論調査」では認めるべきではないという回答が56.7%でしたが、1998年の20歳以上の男女を対象にした墓地に関する意識調査では、好ましくないという回答が14.7%だったそうです。
宗教学者の島田裕巳氏は、遺族が火葬場から遺骨を引き取らない選択をゼロ葬と呼び、これこそが墓を建てる、守るといった心理的負担、金銭的負担から開放される手段だと主張し注目を集めたそうです。

月刊北国アクタスに「終活」についての記事

月刊北国アクタス2015年10月号で「終活」に関する特集記事が掲載されていました。
墓を建てないという選択をする人が増えているという事で、永代供養墓や納骨堂として金沢の法句寺が紹介されていて50回忌まで保証してくれ料金が50万円前後だそうです。
少子化や核家族化によって、墓の守り手がいなくなったり、子供達に墓の守り手としての負担をかけたくないとの事で、最近では現在ある墓を費用をかけて「墓じまい」して、永代供養墓や納骨堂に移す例も多いそうです。
高岡市の日蓮宗大法寺では、ゆうパックで送られた遺骨を永代供養墓に葬るサービスを行っているそうです。
小松市の真宗大谷派本光寺では、行き場の無い遺骨を無償で弔う事も行っているそうです。
内灘町では2016年に、公営の納骨堂をオープンするそうです。
お墓って、もともとあった習慣でもなく、歴史もそれほどあるものでもなく流行みたいなものなので、必須の物という訳ではないので、、公営の納骨堂があれば、それが一番理想的なような気がします。

最近、一般的な葬儀を行わない葬儀が増えてきているとは聞いていたけど、金沢でも約4割が家族葬などになっているそうです。
家族葬などの場合は、通夜や葬儀の日時・場所を知らせる必要がないため新聞掲載をしないのが一般的とのことで、2012年ごろから、おくやみ欄の掲載数が急減しているそうです。

お墓、葬式、戒名は本当に必要か

お墓、葬式、戒名は本当に必要か/ひろさちや著 を読んでみました。

現在における冠婚葬祭といった習慣は一種の流行で、定着したのは戦後になってからだそうです。

2014年の調査によると、関東地方では22.3%が火葬場での直葬になっているそうです。

平安時代末期から鎌倉時代の法然や親鸞は、「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、誰もが極楽世界にできると教えています。ちなみに親鸞は自分が死んだら賀茂川に流して魚の餌とせよと遺言しているそうです。
つまり仏教においてはお葬式ははしなくてもよく、それが仏教の教えなんだそうです。

仏教においては、元々、葬式という概念は無く、神道においての行事だったのだそうです。神道について、葬式は死者の霊魂をホトケにするためのものだったそうです。
33回忌、50回忌という概念も神道のもので、この世に対する執念をもった霊魂は荒御霊(ホトケ)であり、荒御霊に鎮魂儀礼を施すことにより、落ち着いた柔和な和御霊(カミ)になるそうですが、荒御霊が和御霊になるためには33年から50年かかるといところから来ているそうです。つまり仏教とはなんの関係も無いそうです。

四十九日は、インドにおいて、輪廻転生の考え方から、死者は四十九日で再生するので死者への追悼を四十九日で打ち切るという風習から、神道が影響を受けて四十九日が特別な日になったそうです。そういう訳で、インドにおいては四十九日が過ぎると、死者への追悼はしないそうです。

3回忌は儒教では父母のために子は3年間(足掛け3年なので25ヶ月)喪に服さねばならないとされるところからきているそうです。

お盆も神道の行事で、1960年ごろまでは浄土真宗においてはお盆の行事は行わなかったそうです。
ちなみに、お盆に帰ってくるのはカミになっていないホトケの段階での霊だけだそうです。

火葬が普及したのは1980年代以降  火葬は元々インド人がやっていたもので、焼け残った骨すべてをガンジス河に流していて、火葬をして骨を墓に埋葬するのは日本だけの特異な葬法ということです。

墓は、死体を埋葬したあと、そこに大きな石を重しとして置いて、死体が墓穴から出てこないようにしたものが起源だそうです。

現在のように、仏教が葬式仏教になってしまったのは、キリシタン対策のために江戸時代に導入された寺請制度(檀家制度)の影響だということです。寺請制度(檀家制度)によって、檀家のお布施が義務になって、信仰の布教が必要なくなり、菩提寺を粗末に扱っていると宗門人別改帳に請印捺さないと圧力をかけたりすることになったりしたそうです。しまいには、仏教寺院が「御条目宗門檀那請合之掟」を偽作して、寺の行寺に参加すること、寺の雑役・修理・建立をつとめること、葬式には檀那寺の差図を受けること、死者に剃刀を与え、戒名をつける際は、住持が死相をよく見届けた上で引導を渡すこと、中陰・年忌・命日あるいは先祖供養を怠らないことなどの「掟」を細々と規定して、お寺の収入を増やしていったそうです。
もともと江戸時代以前の庶民は、年忌法要はやっていなかったそうです。このようにして、年忌法要は江戸時代に寺院が金儲けのために始まったそうです。

年末年始の積雪時に命日の墓参り 

今日は父親の命日ということで墓参りに行ってきました。
母親から年末に行くように言われていたのですが、新年に延ばしたら雪が降って行けなくなって、このままだとズルズル延ばしになることになるので今日、1人で行くことにしました。
野田山は市街地より積雪が多く、自動車の通り道が埋もれているのはもちろん、人間が通る道さえなくて、幹線道路のところの駐車場から、足跡も無い30cmのふかふかの雪の部分が半分以上の道を吹雪の中を歩いて行きました。
花が置かれている墓もちらほらありました。なんとか墓までたどりついて、新しい花を入れて、蝋燭と線香を供えてお参りしてきました。年末に弟が置いてきた花もまだ生き生きとしてました。冬の時期は花が長持ちするんです。
こんな日でも野田山墓地の近く(大乗寺の入口)のお店には花を用意してありました。
ちなみに、金沢の浄土真宗では年末や年始に墓参りする風習は無いそうです。そりゃそうですよね。雪の中、墓にたどりつくことすら大変ですもの。

墓参りについて

2008年3月15日

今日、土曜日が月命日でお坊さんがおいでたので、いろいろ聞いてみました。

墓参りの時の線香は浄土真宗の場合はやっぱり立てないで寝かして焼香しないといけないのかと聞くと、墓の場合は、線香が束になった普通の墓参セットの線香で良いとのことでした。

墓参りが終わったときに線香と蝋燭はどうすればよいのですかと聞くと、線香はそのままで良いけど、蝋燭の火は消して帰って下さいということでした。

2008年7月4日

今日、お墓にキリコ架を設置してきました。
お墓の掃除と雑草の除去もしてきました。

野田山墓地は7月12日から15日の9:00から17:00に一方通行になるという掲示がありました。

2008年7月13日

今日、野田山墓地へ父親の墓と父親の実家の墓へ墓参りに行ってきました。朝の6時45分頃に泉ヶ丘高校方向から大乗寺口に入る道に近くに来たのですが、自動車の渋滞がひどくて全然進める雰囲気が無かったので、迂回して縦貫道路から左折して大乗寺口の坂に入ることを試みました。

作戦は成功して、なんとか実践倫理会館への坂道に入れました。実践倫理会館への坂道は右折や直進で入るのは無理のようです。臨時駐車場が自衛隊のところや縦貫道路沿いにも設けられてました。

実践倫理会館への坂道の入口で、いつも花を買うのですが、とても駐車して買うことは出来ないので、母親が先に徒歩で行って買ってきました。

朝9時からは実践倫理会館への坂道は一方通行になるので、その前に行こうという人が多くて、しかも日曜日だったので混雑したようです。でも渋滞の本当の原因は、道路の少し広くなっているところに自動車が2台駐車しており、そのせいで対面通行できなくなっていて渋滞していたようです。そういう訳で自動車が2台駐車している場所を越えるとそんなにたいした渋滞になっていなくて、墓の近くの駐車場にもなんとか入ることができました。

ちなみに朝5時半に行った親戚の話によると、その時間でも渋滞してたので朝早く行けば渋滞を避けられるという訳でもないようです。

親戚の人のキリコがかけられていて花も飾られてました。

墓をブラシや濡れた巾で綺麗に掃除してにキリコをつけて、花を飾って、蝋燭と線香に火をつけて正信偈を唱えました。花を活けるためのバケツも用意して水を入れときました、蝋燭の火は消して帰りました。

その後、父親の実家によって、父親の実家の墓にもお参りしてきました。

2008年7月22日

18日に花の水を変替えに墓へ行ってきたのですが、今日はキリコなどを片付けに再び墓に行きました。他の墓を見ると、すでにほとんどのキリコは片付けられてました。

キリコと枯れた花を片付けて、まだ咲いている花に新しい水を入れてきました。夏は花が長持ちしないですね。墓が少し汚れていたので清掃もしてきました。キリコ架も持って帰りました。

2011年7月9日

お盆の墓参りに行ってきました。
以前から草刈が面倒だったので、お彼岸に行った時に除草剤をまいたのですが、除草剤をまいた効果がてきめんで,ほとんど雑草は生えていませんでした。

墓の常識と金沢の常識?

最近、墓や葬儀について、いろいろ調べています。

墓について、文字の刻印は棹石正面は南無阿弥陀佛(浄土真宗の場合)を入れて向かって右側には故人の戒名(浄土真宗の場合は法名)を入れ、向かって左側には、非相続者(独身で亡くなられた人など)の法名を書き、お墓を建てた人の名は下台の向かって左側に彫るのが正式だそうです。

俊が父親が亡くなった時に建てた墓は正面は南無阿弥陀佛を彫ってありますが、向かって右側には○○家先祖代々乃菩提 って書いてあって、向かって左側には墓を建てた人の名前がでかでかと彫ってありました。正式とはほど遠い墓です。

でも墓園に建ててあるまわりの墓を見ると、どの墓も似たような感じです。
浄土真宗は墓を建てるのを重要視しないということもあって、浄土真宗が多い金沢では、正式とかそういうのはこだわらないのかもしれません。

金沢の永代墓地 法句寺

金沢お葬式情報で金沢のお寺を調べていたら、金沢にも永代墓地をやっているお寺があることがわかりました。
小将町にある浄土真宗大谷派の寺院「法句寺」が永代供養墓「心泉」 を運営しています。

永代墓地というのは、お墓を建てても、そのお墓を受け継いでいく者がいなくなるとい場合など入るお墓が無い場合に、お寺などが永代にわたり供養・管理してくれる合同墓地のことをいいます。

10万円から100万円以上と永代墓地の料金はいろいろですが、一般的には30万円から50万円というのが多いようです。一式料金を支払えば、管理料・お布施・寄付金などの費用がかからない場合が多いですが、 生前に申し込む場合は、年会費がかる場合もあるようですし、宗派を限定したり檀家になることが条件という場合もあるようです。

金沢の法句寺の永代供養墓「心泉」は大乗寺山霊園内にあり、永代供養料は50万円ということのようですが年間管理料は別途かかるようです。法句寺の永代供養墓は他の人と一緒の墓に納骨する方式のようです。

彼岸のお参り

2007年9月22日

彼岸の時期は混雑するので今日の早朝に墓参りに行ってきました。
早朝でも、結構墓参りに来ている人がいました。
彼岸の入りが9月20日で彼岸明け9月26日という事で、まだ早いため花が置いてある墓は少なかったです。
墓地の草むしり(大きくて5mm程度の雑草がちらほら)をして、墓の汚れを雑巾でふいて、花をお供えし、蝋燭と線香に火をつけてお参りしました。

2008年9月8日

お坊さんと少し、話をしてたら彼岸の話になって、浄土真宗では彼岸は特別なものではなくて、特にどうこうするというものではないと言ってました。

納骨

2007年4月28日

今日、2007年1月15日に亡くなった父親の墓のおあたまし(開魂式)と納骨がありました。

天気予報はまあまあだったけど、前日から雨が降っていて、おあたまし(開魂式)と納骨の時間は雨が降ってました。その他の時間は雨が降っていなかったので、普段の行いが悪いのかなって思ったりもして。

最初に、おあたまし(開魂式)ですが、お供え物を供えて、花は松の入ったカラフルな花束を飾ります。蝋燭は赤色の和蝋燭です。線香も灯します。参列してくださった親戚が、お菓子のお供え物を持ってきてくださいました。黄色と白のリボンのノシのうえから地味な包装紙で包んでありました。

おあたまし(開魂式)が終わったら、遺骨を墓に収納し花を黄色と白の菊に入れ替え、蝋燭も白色のものに入れ替えます。墓に遺骨をどうやっていれるのかなって思っていたのですが、石材屋さんが花とか蝋燭を置く台を引いて倒すとお墓の中が空洞になっていて、そちらのほうに収納するようになってました。結構広くて、多くの骨壷を収納できるようでした。

お寺に分骨する事にしたので、喉仏の骨の入った小さな骨壷は僧侶に持ち帰ってもらいました。
白木の仮の位牌と骨壷の袋は石材屋さんに引き取ってもらいました。

「おあたまし(開魂式)」と納骨のお布施は1万円づつで2万円で袋は1枚で「おあたまし(開魂式)」と納骨のお布施を一緒の袋に入れました。分骨は2万円で収骨料と書いた袋に入れました。

親戚の方も皆さん礼服で参列されてました。

雨天だったので、せわしなかったのですが、僧侶さんに仏壇のご飯はどうすればよいのですかって聞いたら、朝に炊き立てのご飯を供えたら、お昼にはさげて、食べてくださいって事でした。

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2008年4月29日

今日、親戚の納骨がありました。
お坊さんの都合で朝の7:30からの予定でした。自宅から1時間かかる場所なので朝起きして行ってきました。直接の親族では無いので礼服は着ていきませんでしたが、紺のスーツを着用していきました。そんなに、堅苦しい服装でなくても良かったんですけど。もちろん、数珠は忘れずに持っていきました。花やお供え物は持って行きませんでした。
お坊さんには前日にも連絡してあったようですが、ご高齢のため忘れていたようで時間が過ぎても、おいでないので電話して納骨が始まったのは30分遅れでした。

自分の父親の納骨の時には、雨が降っていて、お坊さんに傘をさしていたので、あまり観察できなかったのですが、今日はお墓の中とかも見ることが出来ました。
蝋燭台を移動して納骨の部分を開くのに石材屋さん2人でやっとこという重さのようでした。
納骨部分には土が敷かれていて、その上に骨壷が置かれてました。写経とかは入っていませんでした。石川県では写経を入れる風習は無いそうです。骨壷の骨は50年経つと土に返すそうです。

お坊さんに、骨壷の蓋と本体に、法名を書いてもらって納骨し、蝋燭は白の和蝋燭で、線香と花とお供えを備え、お経を上げて納骨は済みました。親戚は、そのまま今日、地元のお寺と、小松のお寺に分骨するということでした。

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2011年9月2日

2011年8月15日に義理の父親(妻の父親)が急死したのですが、四十九日に納骨も行なうと聞いていたので,石屋さんに納骨の連絡をしてあるか聞いたら,してないというので,連絡をとるようにと義母に依頼しました。墓地が町関係のものなので手続きが必要かも石屋に確認をとるように依頼しました。

2011年10月2日

今日は四十九日の法要がありました。
午後から自宅で法要を行って,その後納骨して,マイクロバスの送迎で食事に行きました。納骨には石屋さんを頼まずに,自分達で蓋を開いて納骨室に納骨しました。骨壷を包んだ袋から骨壷を出して,骨壷だけ納骨しました。木製の位碑も一緒に納骨室に入れました。

お布施は5万円,御膳料2万円を包んだということでした。
食事後のお土産には通常のお土産の他に1万円の商品券を包んだようです。通常1万円の商品券を包むことは無いのですが,親戚の四十九日に行った時に1万円の商品券を包んで渡されたので,同様にしたようです。
四十九日の場合は葬儀の日から,それほどたっていないので,親戚の負担が続き申し訳ないということで商品券を別に包むという形をとったのだと思いますが,こういうのが一般化すると大変だと思いました。

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2018年8月18日

2018年6月29に義理の母(妻の母親)が亡くなられたのですが、今日、49日の法要と納骨を一緒にしました。

実家が無くなっていて、自宅から墓地まで遠いので、49日の法要はお寺でしました。

法要が終わってから、全員で墓地で納骨をしました。

納骨が終わってから、全員で食事をしました。。

駐車場の問題や、移動の交通機関を考えると、幼児の場所の選択の幅はかなり限られます。

結局、法事の食事とお土産は葬儀をした米永さんに頼むことにしたのです。

葬儀の時の食事も美味しかったし、送迎もしてくれるということがポイントです。

お寺から墓地、墓地から食事の場所(にし料理茶屋)、食事の場所からお寺まで、送迎は全部面倒を見てくれました。
送迎については、別途費用を請求されませんでした。
納骨の花も米永さんで用意してくれ、請求もありませんでした。

食事も美味しかったし、米永さんに頼んで良かったです。

納骨の日は、酷暑の年にもかかわらず、気温は低めで日も当たらず雨も降らずで助かりました。
骨壺を墓に入れる作業は自分達でしました。
納骨の際には、埋葬許可証が必要だと聞いていましたが、墓地が町営で管理者もいないこともあって、誰にも提出を求められませんでした。
おかしいなあ?

僧侶には、49日の法要のお布施2万円、会場費1万円、納骨のお布施1万円、食事代1万円を含めて5万円を支払いました。
49日の法要には、ほぼ皆さん礼服を着ていました。夏にも関わらず、上着を着用していました。
参列者は、黄色と白色の水引のついた佛前ののし袋にお金を入れて、菓子折りを添えて持参されていました。
葬式も終わって、それほどたっていないのに、49日の法要に、参列者に負担をいただくのは本当に申し訳ないなあと思いました。